「普通」とは?
「普通はこうですよ」
尖った声で、あの人が云った。
その「普通」は、
どこの家庭で育って、
どこの会社で教わって、
どんな失敗から生まれた「正しさ」なのか、アタシは知らない。
その人の「普通」を押し付けられた気がして。
アタシの「普通」を処分された気がして。
だから、気が付いたら、口から言葉が飛び出していたんだ。
「あなたと私の『普通』は違います」と。
自分でも驚くくらい、低くて強い声だった。
云ってしまってから、心臓がどくどくと早くなる。
きっと、殆どの人が、
「自分のやっていることは正しい」と思って生きているに違いない。
あの人も、多分、そう。
アタシも、多分、そう。
だから、ぶつかる。
だから、疲れる。
嗚呼、また、ヤッちまった。
波風立てずにやり過ごした方が、楽だと知っていたのに。

本日のまこメシ。
アタシの正義。
晩酌。
【雨にも負けず風にも負けずの今宵の晩酌のまこメシ。】
・茄子とモッツアレラチーズのトマトソースペンネ
・ポテトフライ
・野菜スティック
・赤ワイン

譲らない人も、
すぐに謝る人も、
声を荒げる人も、
静かに飲み込む人も、
みんな思っている筈だ。
「自分はだいたい正しい」と。
本当は、
見てきた風景も、
教わった言葉も、
大事にしてきたところも、
ひとりひとり、全部違うのに。
その「違う正しさ」を振りかざし、
職場でぶつかって、
家庭でぶつかって、
ネットでぶつかって、
駅では知らない人同士がぶつかっている。
それでも、夜になれば、もしかしたら、みんな少しだけ反省して、
自分なりの「正しかったところ」を探して、何とか眠ろうとしているのかもしれない。
時々、思う。
「アタシの正しさ」だって、どこまで本物なのだろうと。
あの人を責めたひと言は、
アタシの領域を守る武器だったかもしれないし、
正しさという名のナイフだったかもしれない。
それでも、やっぱり、アタシは今日も、
アタシの物語の主人公として歩いてしまう。
「あの人、やっぱり、おかしいよね」と思いながら。
だけど、もう少しだけ、互いの「正しさ」を尊重しあえたらならば、
世界はもっと優しい光で満ちるはずだ。
次は云えたらいいな。
「あなたの『普通』の話、ちゃんと聞かせて」
「その代わり、アタシの『普通』の話も、最後まで聞いてよね」

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