うちの子が。
以前、友人たちと会食したときの話。
コロナ渦を跨(また)いだこともあり、4~5年ぶりの再会であった。
彼女たちは、皆、家庭を持ち、子供にも恵まれた人々である。
独身はアタシ一人。
アウェー感は否めない。
こういう時には、まずは、皆の話を聞くことに決めている。
前のめりに気味に、うんうんと聞いていたのだが。
やっぱりな。
出てくる言葉は、子供の話ばかり。
「うちの子が…」「うちの子は…」の“うちの子祭(まつり)”である。
そりゃあ、何より子供のことが大切なのは理解できる。
関心の全てが自身の子供に向くのは当然のことだろう。
だけど、自分自身の話は、ひとつもないのか?
淋しいよ。
アタシは、「あなた」 に会いに来たのだよ。

本日のまこメシ。
フルーツが美味しい季節になると。
『新宿高野』の前から動けなくなる。
【定番の2個買いのスイーツのまこメシ。】
・『新宿高野』
フルーツロワイヤル 864円
塩西瓜ゼリー 712円
・ルイボスティー

ドラマの話ばかりする人。
海外旅行の話ばかりする人。
恋愛の話ばかりする人。
子供の話に限らず、
自分が話したいこと「だけ」を、一方的にまくし立てる人はどこにでもいるものである。
こちらが「死んだ魚のような目」をしているのにも気づかない。
もはや、聞いてくれるのであれば、相手は誰でもいいのであろう。
だけど、会話はキャッチボール。
取ったり、投げたり。
相手が全く興味のない話題でも、
面白かったり、勉強になったり。
あるいは、周囲への思いやりが添えられていれば、
アタシは何を話したっていいと思うんだ。
自分の話ばかりして、人の話を聞かない人って、自己愛が強いのかな?
それとも、満たされていないのかな?
孤独なんだろうな。
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