第64柱 『水の中』

スピリチュアル

水の中。


水中から見上げる太陽は、何て美しいのだろう……。


揺れ踊る波間をすり抜けた光の帯が、幾重にも重なり合い、宝石の矢のように降り注いでいる。
その時、アタシは、薄れ行く意識の中で、うっとりと水面を見上げていた。



あれはまだ、アタシが小学校低学年の頃の話だ。
暑い暑い夏休み。
父と姉の3人で、近所の市営プールを訪れた際に、アタシはプールで溺れてしまったのだ。
周囲には、姉を含め多くの人がいたが、誰にも気づかれず、一人、静かに、沈んでいた。


不思議だな。
さっきまで慌ててモガいていたのが、嘘みたいだ。


何かを掴もうと必死に延ばした両腕は、もう水中を切り裂こうとはしない。
水中で叫ぼうとしていた唇も、今は、薄く閉じられていた。




ゆらゆら。きらきら。

綺麗だな。

ひらひら。きらきら。

アタシも踊る。



アタシ、死んじゃったのかな?

小学生ながら、ふと、そう思った。
だって、ずっと水中で沈んでいるのに、全然、苦しくないんだもん。


泳げないから、浮き輪を使っていた筈なのにね。
その浮き輪が自分の足首に引っかかり、水中で逆立ちした形のまま、顔を上げることが出来ないでいる。


最初は、ガムシャラに水中をのた打ち回ってみたが、すぐにチカラ尽きた。
そのうち、なーんにも怖くなくなって。
とっても静かで、幸せな気分。
心も身体も、凄く凄く、気持ちがいい。


すっごく綺麗。
何だか、空に墜ちていくみたい。


じりじりと水底に向かい沈むアタシは、
殆ど幸福な気持ちで、水中から光のダンスを眺めていた。



どちらが天国?


何かが猛然と向かってくるのが見える。
父だ。
プールサイドで寝転んでいた父が、アタシの異変を察知し、プールに飛び込み、助けに来たようだ。

父は力づくでアタシの身体を引っ張り上げた。
無言のアタシ。
だけど、心の中では憤りを感じていた事を、子供ながらにはっきりと覚えている。

ねぇ、やめてよ。
アタシ、今、とーっても気持ちがいいの。



そのままプールサイドに連れていかれ、背中を強く叩かれた。
呑み込んだ水を吐き出し、アタシは、条件反射で深く息を吸い込む。
その途端、鼻の奥がツンとなり、経験したことのないような苦しみがアタシを襲った。

咳が止まらない。
喉と胸が、焼けるように熱い。
痛い! 苦しい!

鉛のように重い身体。
身体の重心が、一気に一番下まで降りたような気がした。



でも。
おかしいじゃないか?
空気は人にとって必要だって、学校で習ったよ。


なのに。
助け上げられて、また空気を吸った途端、
人って、こんなに、苦しいものなの?


空気はそこにあるのが当たり前だと思ってた。
だから、溺れて、空気を奪われた時は、必死でガムシャラに手を伸ばし。
でも、手に入れられないと受け入れたら、全然、苦しくなくなって。
途端に、空も、水も、太陽も、すんごく綺麗に輝いて。
なのに、助けられて、また空気を手に入れた途端、こんなにこんなに、苦しいなんて……。


え?
もしかして。
人は、生きている方が、苦しいの???


きっと。
あっちの世界は、天国で。
こっちの世界は、修行を兼ねた地獄みたいなモノに違いない。



アタシの少し歪んだ「死生観」は。
きっと、ここがスタートなんだと思う。

人生は苦しい。

あれから、ずいぶん遠くまで人生の旅路を歩いてきたが。
アタシは、あの水の中ほど、心が安らぐ静寂を味わったことはない。


だからと云って、じゃあ、死んじゃおうかとは、不思議と思わない。
どうやら「生き抜くこと」が、アタシに課された厄介な宿題のようだ。


そもそも、生きることは、苦しいことばかりだ。

大人だろうと、子供だろうと。
男だろうと、女だろうと。

理不尽、不平等は当たり前。
人生は不条理に満ちている。


でも。

それでも。

負けるもんかと、這いつくばりながら、頑張って生きていると、
たまには、ご褒美みたいなことも訪れる。


少しだけ、心があったかくなったり、
少しだけ、幸せな気分になったり、
少しだけ、愛してみたり、
少しだけ、愛されてみたり、

もう少しだけ、頑張ってみようかなと思ってみたりもするのだ。




アタシがいつか死ぬ時に。
また、あんな風に、綺麗な静寂に包まれるのかな。

だとしたら、

その前に、

あの時、見た美しい光景を超えられるような、

美しくて、
静かで、
深くて、
優しくて、
温かくて、
幸せな光景を、

我が世界(地獄)でも経験してから、
あちらの世界(天国)へ戻りたいと、願っている。


そんなご褒美も。

きっと貰える気がしている。


つづく

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