二人のおんな。
二人の女性が、小さなテーブルを挟み、静かに顔を突き合わせている。
最近、体調の芳しくない監督について、今後の相談をしているのだ。
一人は監督の奥様。
スラリとした和美人。
監督が劇映画を撮れない時代は、彼女が家計を支え続けた才女でもある。
料理上手で、監督の私生活の全てを司(つかさど)る女性だ。
もう一人はガガさん。
華やかな顔立ち、ダイナマイト・ボディの洋風美人。
監督の後期の作品の全てを支える女性プロデューサーである。
仕事に於いては、監督の女房役と云っても過言ではない。
ある意味で。
監督を愛し、監督から愛された二人の女性である。
監督の未来は、今から、この二人の女性により、大きく舵を切られるのかもしれない。
思わず、お茶を出す手が震えた。
「最近、監督の調子はどお?」
お茶を出し、下がろうとしたまこに、奥様が優しく問いかけてきた。
そうですね。
ちょっと不安そうな表情をされる事が増えましたね。
特に、「水回り」の使い方に、戸惑っているようです。
微笑を浮かべ、なるべく快活に応えてみた。
余計な不安を煽らないように。
「水回り」というのは、主に「トイレ」のことだ。
水の流し方やトイレットペーパーの使い方、ドアの開閉など、監督がたまに「戸惑い」を感じているように見受けられる。
気づくと、壁や床が汚れていることが、格段に増えたのだ。
「そう……。迷惑かけるわね」
「水回り」と伝えただけなのに、何かを察知したように、奥様がまこに優しく詫びた。
いえいえ。
全然、迷惑じゃないですよ。
「手伝うわけにもいかないもんな」
敢えて、茶化した言葉を選ぶガガさん。
その目は、テーブルの表面を見つめたままだ。
魂の記憶。
認知症。
誰もこのワードは口に出さないが、それが現実に迫ってきているのをヒシヒシと感じる。
いつもではないが、たまに、ホケッとしている監督の姿を見ることが増えた。
まるで、別人のような。
まるで、才能の棘が抜けたかのような。
いつか。
こんなに情熱を傾けた「映画」のことを、忘れちゃうのかな?
こんなに愛してくれた女性(ひと)達のことも、忘れちゃうのかな?
もこり神様が優しく告げる。
「忘れるわけじゃないのよ。全部、魂が記憶しているの」
だとしても。
その命尽きるまでは。
映画とこの女性ふたりへの想いだけは、そっとしておいていただけませんか?
削らないでいただけませんか?
監督の帰り際。
いつもなら男性助手が監督のサポートをしながら事務所を出るが、今日は奥様に支えられながら、静かに事務所を歩み去る。
女性の細腕で大変かと思いきや、奥様はテキパキと監督を誘導し、その顔は不思議と生き生きと高揚しているように見えた。
霊聴かな。(「霊聴」については第34柱参照)
奥様の心の声が聞こえた気がした。
「やっと私の元に帰ってきた。私だけの監督になった」
そんな二人の後ろ姿を、ガガさんが静かに見つめていた。
つづく
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