第140柱 『学び』

スピリチュアル
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嫌いな人。


なるべく波風は立てぬように生きて来た。
真面目に、穏やかに、みんな仲良く。


どこにだって、悪い人はいる。
アタシさえ我慢すれば丸く収まるんだ。

揉め事は起こさない方がいい。
賢く生きないとな。


それに、いつだって、放っておけば悪人の方が勝手に消えてくれたじゃあないか。
さもなければ、世間が正当にジャッジしてくれたぞ。


だけど、最近は、悪い人の方が得をする。
悪人が大きな顔をして居座るんだ。


優しい人ばかりが損をする、
イヤな世界になっちまったみたいだな。




だから、きっとね。
我慢しているだけじゃあ、ダメなんだ。


云うべきことは、云わなくちゃ。
闘わなければならない時もある。





スピリチュアルの世界では、人生で経験すること全てが「学び」という。
楽しいことも、辛いことも、その魂にとって必要なことだと。


そして、その学びの場から一度は逃げおうせたとしても、また、同じ状況に出くわしちまう。
その課題を自身で読み解くまで、学びは追ってくるんだ。





その学びだろうか?
最近、大嫌いな「あの人」が追ってくる。

映画館に行くと、二つ隣の指定席に「あの人」が。

ランチで中華店に行くと「あの人」が。

会社の呑み会で、アタシの右と左に「あの人」と「あの人」が。

会社の席替えで「あの人」が目の前の席に移動してくるってさ。




神様、これはどっちの学びを差し出しているのですか?


仲良くしなさい?
闘いなさい?




どっちですかー?


本日のまこメシ。


どっちも。

イヤです。


【火ふいてやっかの辛いまこメシ。】
・麻婆豆腐
・ご飯
・サラダ
・柿
・麦茶





正直、「あの人」に対し、愛想よく対処することは簡単だ。
今までみたく、波風は立てぬように、何かあっても我慢、我慢。


だけど、ホントにそれでいいのかな?
「あの人」は自分の愚かな言動に一生気付かないもの。


「あの人」は、人を選んで冷たい言葉を吐いているみたい。

自分が一番正しいと思っているみたい。

他人を見下しているみたい。

想像力がないみたい。




あー、イヤだな。
ホントは苦手な人からは、少しでも遠ざかりたい。


適当に距離を置いて。
適当に作り笑顔で。


なのに、嫌いな人が、ずっと追いかけてくるのは何故だ?
「あの人」を克服しても、次の「あの人」が現れるんだ。







「必要」だから出会うのか?






だとしたら。


今回の学びも深そうだ。


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