父の認知症が始まった。#50

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人生100年時代?


父が認知症と診断されてから、ちょうど2年が経過した。


まぁ、父にしてみれば、診断される数年前から不安もあったようなので、
実際は発症からもっと経過しているかもしれないな。



個人差はあるが、認知症発症後の「寿命」は、
おおむね5年~12年と云われているそうだ。


父が初めて認知症と診断された時も、主治医から、
「5年後はどうなるか分かりませんよ」とはっきり宣告されたしな。


このブログ(父の認知症が始まった。)を書き始めた頃は、
日に日に衰えていく父の姿を、涙ながらに書き綴っているアタシを想像していたのだが。


2年経過の現在。


正直、そんなに変わらない。
安堵している。





とは云え、多少の言語障害(固有名詞が出てこない、話すスピードが遅くなった)は否めない。


離れて暮らすアタシとしては、どんなに仕事が忙しくても、頻繁に実家に帰ったり、電話で話す必要もある。
高齢者につけこむ悪徳業者にも、目を光らせなければならないしな。


大変なことも増えた。
だけど、誰かを頼ることも覚えた。


姉家族やケア・マネージャーさん、デイサービスのスタッフの方々の力添えは有難く、とてもとても大きい。


お蔭で、父は今もなお、男寡(おとこやもめ)の一人暮らしを謳歌しているぞ。





この程度の症状であれば、まだまだ大丈夫と思いながら。


これは嵐の前の静けさなのかと、不安も募る。


3年後のアタシは笑っているのか。


父はどうしているのか?









祈るしかないのか?
















祈りは、届くのか?



本日のまこメシ。


父は。


ヤクルトレディさんが好き。


【秋の夜長に実家で晩酌のまこメシ。】
・秋刀魚の塩焼き
・つみれ汁
・里芋の煮物
・チキンのから揚げ(惣菜)
・赤エビの握り
・梨
・日本酒(熱燗)




人生100年時代。
父には、勿論、長生きして欲しいが。


アタシ自身は、最近、心の中ではこう思っている。
この時代、100歳まで生きるのは、本当に幸せなのだろうか?


仮に100歳まで生きることが出来たとしても、本当に大切なのは「健康寿命」。
自分らしく、自立して生活できる期間をいくつまで保てるか、それが重要なんだ。


勿論、健康寿命を延ばすには、生活習慣が鍵となる。
だけど、こんな後悔もある。
アタシの母は、健康のために、大好きなスイーツを我慢していた。
だけど、結局、「病気」ではなく「事故」で死んだ。
こんなことなら、好きなだけ、美味しいデザートを食べさせてあげたかったよ。




結局、どちらの選択が正しかったのか、
答え合わせが出来るのは、死ぬときかもしれないが。


だとしたら、アタシは、自分が朽ち果てる瞬間、
いったい何を思うのだろう?


願わくば。


管(くだ)に繋がれ、次世代に迷惑をかけて生き長らえているのではなく。


「自分の好きなように生きられた。ありがとう」と呟きながら、


ぽっくり逝きたいものである。






そう、切に願うのだよ。


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