母の死
母が死んだ。
とても暑い夏の日のことだった。
滑落死(かつらくし)。
こんな事が、家族の身に起こるなんて、予想だにしなかった。
もう何年も前のことなのに、今でも心が震え、受け入れることが出来ないでいる。
その日、父と母は、初心者向けのハイキング・ツアーに参加していた。
大勢のシニア達も参加していて、気軽に楽しめる里山歩きのはずだった。
それなのに。
母が、母だけが。
足を滑らせ、こおろころと崖へ向かって転がり落ちたのだ。
傾斜のある場所で、体重50kgの人間が転がり落ちると、10秒もすると時速40キロを超えるらしい。
速度は上がり続け、僅かな起伏でも跳ね飛ばされ、繰り返し、山肌に叩きつけられるのだ。
母は、100m下まで転がり続け、岩で頭を強打した。
病院のベットに横たわる母の腕や足は、激しい衝撃に耐えきれなかったのか、あらぬ方向を向いていた。
「いってらっしゃい。気を付けてね」と笑顔で送り出してくれた母は、もういない。
永久に、あの笑顔には、出会えないのだ。
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葬儀の後に…
母の急逝後、時間は荒波の如く過ぎ去って行った。
深い悲しみの中でも、葬儀の手続きや、やらなければならない届出は、膨大だ。
目の前で母を失った父は、もう真っすぐに立つことすら出来ないでいた。
瞳の中には深い闇と空虚を湛え、放っておいたら、すぐに母の後を追ってしまいそうだ。
姉は、結婚して、既に実家を出ている。
アタシが、しっかりするしかない。
泣く暇も、考える余裕もなかった。
使命感と喪失感でごちゃ混ぜな心を奮い立たせ、黙々と必要な手続きを進めた。
手続き以外は、食べることも、寝ることも、生きることさえも「重要」でなくなった。
何も感じないのだ。
葬儀の日、見かねた親戚の叔母さんが、
「お願いだから、少しでも食べて」と、
アタシの口におにぎりをねじ込んできた。
叔母さんも泣いていた。
生ぬるいお茶を、喉に流し込みながら、なんとか米粒を呑み込んだ。
母が死んでから、初めて、涙が出た。
いったん溢れ出た涙は、もう止まらない。
おにぎりを頬張りながら、声を、魂を押し殺して、泣き続けた。
そして、何とか母の葬儀を無事に終えた夜から、次々と不思議な事が起こり始めた。
母が、そばにいる???
つづく
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コメント
辛かったね。