第34柱 『神様の声の聞こえ方』

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神様の声の聞こえ方。


先日、このブログを読んでいるある人物から、半嗤い気味で質問された。

「ねぇ。神様の声って、どんな風に聞こえるの~?」


ふん。
馬鹿にしているのが、見え見えである。


だから、アタシは、
愚かさの微塵もない真剣な顔で答えてやったんだ。


生きている人の声は、耳から聞こえる」

「それ以外の存在は、耳以外から聞こえる。頭の中に響く、又は、感じる」


その人は、5秒くらい固まり、「ふーん」と云って、足早に去っていった。
少しだけ、鼻で嗤われた気がする。





ま、こればかりは、しょうがない。
信じるか、信じないかは、その人の自由だ。


アタシとしては「真実」を語っているつもりだが。
経験のない人にとっては、インチキか恐怖でしかないのだろう。


それが、自分の「五感」では確認できないこととなれば、
一生、感じることのできない現象なのだから。





出産経験のないアタシが、
「出産の痛みは、鼻からスイカを出すようなもの」と説明されても、
本当の意味では理解できないのと同じである。




「スイカは無理だろ、せめて、メロンだろ」と思っちまうしな。


霊聴(れいちょう)。


アタシのブログで登場する「おじさん神様」や「もこり神様」の声は、
勿論、耳では聞こえない。


身体の中に響く声は、自分の声にも、他人の声のようにも思えるが、
決して「音」ではないのである。


亡き人や守護霊など、目に視えない存在の声を聞きとれることを、霊聴(れいちょう)と云う。
霊視(れいし)なら、よく聞くけどな。





霊聴の能力があると、
「生きている人の心の声」も聞きとれることもあるそうだ。


実際、アタシも、視えない存在だけではなく、
この場にいない人の声や、
喋っていない人の声(心の声)を聴いてしまったことがあるんだ。




そして、アタシが、本当に不思議だなと思うことは、


神様や霊の声が届くことよりも、


むしろ、「聞こえる筈のない、生きている人の声が届いてしまう」ことの方なんだ。



生きている人の声の聞こえ方。


不思議な経験がある。


親友は、癌を患っていた。
彼女は、辛い闘病生活が続いていたが、「絶対に治る」と信じ、強く生きていた。


余命宣告後、
自宅に招いて貰った時には、もう彼女は歩けなくなっていたけれど。


それでも元気一杯、明るくお喋りしてくれて、
生き抜く事を諦めない、素敵な女性だった。





彼女の自宅を訪問してから、数日後。
時は、丑三つ時(うしみつどき)だ。
(丑三つ時については、第10柱『丑三つ時に会いましょう』を参照)


自宅で寝ていたアタシの「耳」に、
ここにいる筈のない彼女の「声」が、はっきりと聞こえたんだ。


「まこチャン、まこチャン」


姿は見えないが、誰かがドアの陰に隠れている気配がした。
その黒い気配は、膝をつき、背中を丸め、じっと息を潜(ひそ)めている。


「アタシね。頑張ったんだよ」


「頑張ったのだけれど……」


一瞬、彼女の声が詰まる。















「もう、行くね」















その3日後。
彼女は、静かに旅立って逝った。










そうか。

目に見えなくても、
実際はこの場にいなくても、
例え、危篤状態の人でも、

「生きている人の声」は、きちんと音として、「耳」から聞こえるんだ。




そして。
今はもう。


彼女の声は「耳」では聞くことは出来ない。


残念だが、「身体の中に響く」方に変わってしまった。









そう。
生きている人の声は、きちんと聞こえるんだ。


ましてや、隣にいる人の声や、


大切な人々の声は、


耳を塞がない限り。


心を塞がない限り。


きちんと聞くことが出来るんだ。


だから。


きちんと聞かなければならない。


受け取らなくちゃダメなんだ。








そして。
亡くなった親友には、こう伝えたい。


また、声を聞かせてよ。
身体の中に響くだけでいいからさ。


つづく

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