探偵物語。
「いいか、絶対、監督から目を離すなよ」
聞いたよ、ガガさん。
もう、100回、聞いた。
映画制作会社に入社してから、半年が過ぎた。
まこの仕事は、事務職とは名ばかりの雑用係である。
毎日出勤する監督の食事の手配や、プロデューサー・ガガさんのアシスタント業務が主な仕事だ。
なのに、そんな雑用係が、何故、こんなことまでさせられているのだ?
探偵(監督の尾行)だ。
監督は、若い頃の不摂生がたたり、糖尿病を患っている。
失明、足の切断、心筋梗塞や脳卒中などの発症リスクも高い。
『万が一、監督が倒れた時に、誰かが側にいないとな』とガガさんは云う。
そう、監督は目を離すと、すぐに「消える」。
本屋、居酒屋、女性のところ。
よって、まこの仕事に、「探偵(監督の尾行)」が加えられたのだ。
そして、この任務は、監督に気づかれてはならない、極秘任務なのである。
ちなみに、監督の奥様からは、食事も見張って欲しいとの依頼があった。
禁じてはいるが、甘いモノには目がないのだ、と。
確かに、お菓子を隠している3階までこっそり行き、饅頭をむさぼり喰っていた。
糖尿病だぞ。
饅頭はダメだろ。
しかも、監督は足が悪く、普段から杖を突いている。
3階までの急な階段を、気合で這い昇ったのだ。
これは、敏腕探偵として、しっかりと監督の素行調査をしなくてはならない。
しかし、饅頭にかける執念。
むしろ、あっぱれである。
ある日の昼下がり。
監督が事務所をこっそり出て行った。
さぁ、まこさん探偵の出番である。
ゆっくりと杖をつきながら、歩を進める監督。
そのスピードは、亀より遅い。
しっかし、なんだろ?
あたし、絶対、怪しいよね?
住宅街で老人の後ろをコソついている女。
スタイリストさんに無理やり着せられた変装用の上着と眼鏡が、やけに切ない。
カツラも渡されたが、あれは拒否して正解だったな。
(多分、怪しすぎて、捕まる)
監督の歩く速度に合わせ、電柱に隠れながら、こそり、ついてゆく。
「ついてくるな。帰れ!」
あ、見つかった。(汗)
「いえいえ、監督。これも私の仕事なんで」
「ふ。似合わんな」
鼻で嗤い、くるりと背を向ける監督。
再び、ゆっくりと歩き出す。
その後も、『帰れ』『仕事だ』『帰れ』『仕事だ』の攻防が続く。
そのうち、戦意喪失した監督が困ったように云い放った。
「たまには、歩いて家に帰りたいだけだ」
ふむ。
ならば、事務所に戻ったふりをして、監督が自宅に到着するまで、遠くから見守ろう。
『わかりました』と深々と頭を下げ、一旦、その場を離れた。
監督に背を向け、一つ目の路地を曲がる。
取り敢えず、この怪しげな上着と眼鏡を脱ぎ去りたい。
そして、ほんの数秒、監督から目を離したすきに、やや、やられた!
監督の姿が、跡形もない。
亀より遅い監督に、まかれた???
監督にもしものことがあったら……。
半泣きで、そこら中を走り回る。
監督の影すら、捉えられない。
ガガさんの鬼のような顔が目に浮かぶ。
どうしよう、どうしよう。
ダッシュで監督のご自宅付近まで行き、やはり居ないと肩を落とし、事務所方向へ戻る。
途中、脇道を少し入ったところに、見慣れぬ、小料理屋があった。
居酒屋と割烹の中間ぐらいか、古き良き昭和感が漂う店構えだ。
おそらく夜のみの営業なのであろう。
入口に吊り下がっている提灯は点灯していない。
スライド式の扉が、ほんの数センチだけ「不自然に」空いていた。
ん? まさか?
じっと目を凝らして、その「隙間」を見つめる。
いた!
監督は寛いだ様子で椅子に鎮座し、その隣には女将さんだろうか、割烹着の60歳位の品の良い女性が寄り添うように座っている。
監督の片手にはお酒、もう一方の手は女性の掌を握り、指でゆっくりと摩(さす)っているではないか!
このエロじじぃめ。
監督とまこの視線がぶつかる。
ニヤリ嗤う監督。
くっそ。
アイツ、見つかるように、わざと扉を少しだけ開けてやがったな。
もこり神様は笑う。
欲は、人間の活力だな。
監督。
日本映画界の大巨匠。
活力の塊(かたまり)だ。
つづく
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