第156柱 『お葬式』

スピリチュアル
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お葬式は誰のため?


お葬式とは、故人の死を悼み、
故人の魂を死後の世界へ送り出すための大切な儀式である。


が、アタシは、常々、
「故人のため」というより「生きている人のため」にあると思っているんだ。


お別れを云うため。
お礼を云うため。
たくさん泣いて、たくさん悲しむため。
区切りをつけるため。


理由はさまざまだが、残された人達が故人の死と向き合い、
また前を向いて生きていくために必要な儀式なんじゃないかな。





スピリチュアルの観点から云うと、
お葬式は、故人が自分が亡くなったことに気づかず、
自分のお葬式に参列し、
「あ、自分は死んだんだ」と気付かせるためにあるんだって。


そう云えば、昔、母が亡くなった時に、
母は、自分の葬儀には姿を現さなかったが、
墓場に納骨の際には、にこにこと「同行」していたのを視ちまったんだ。


あれって、やっぱり、自分の死に気付いていなかったという事なのだろうか?
それとも、自分のために哀しむ人々の姿を愛おしく見つめていたのだろうか?





真相は分からない。
が、亡くなった母に、心の中で問うつもりもない。



アタシ自身が死んだ時の「お楽しみ」として、とっておきたいんだ。


本日のまこメシ。


アタシを悼(いた)む時がきたら。


是非、とんカツ定食で。


【桃豚、旨しのランチのまこメシ。】
・桃豚 上ロース定食





アタシは、残された遺族や友人で哀しみを分かちあう葬儀も良いが、
「生前葬」も素敵だなと思っている。


生きているうちに呼びたい人を集めて、話がしたい。
伝えたい。
抱きしめたいんだ。




もし、キミの大切な人が「明日」死ぬことが分かっていたら、どうするだろうか?
居ても立ってもいられず、きっと、走って会いに行くだろう。


でも、もし、キミの大切な人が「昨日」亡くなっていたとしたら、キミはどうする?






そう。


会いたい人には、今日、会いに行こう。


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