天国に一番近いババア
昔、実家のすぐ隣に駄菓子屋さんがあった。
切り盛りをしているのは、優しくて、明るいおばあさん。
近所の子供たちの人気者だ。
いつしか駄菓子屋さんは閉店してしまったが、それでも、おばあさんは、いつもお店の前で笑っていた。
時は流れ、おばあさんの髪も、真白(ましろ)になった。
腰も少し曲がっていたが、やはり、おばあさんは笑っていた。
知らない人にも、笑っていた。
猫に向かって、笑っていた。
花に話しかけ、笑っていた。
おそらく、認知機能が低下してきたのであろう。
隣に住む、幼い頃から駄菓子屋に通い続けたアタシのことも、誰だか解らないようだ。
会話は奇天烈(きてれつ)になり、たまに一人で隣町まで大冒険に出かけてしまう。
おばあさんの家族は、いつも、てんやわんや。
それでも、いつも笑っているおばあさんが、アタシは好きだった。
暫くすると、おばあさんは入退院を繰り返すようになり、見かけることも少なくなった。
たまに姿を現したが、もう、誰とも話さなくなってしまった。
笑顔すら見せなくなったおばあさんを、近所の人たちが、こう呼んでいた。
「天国に一番近いババア」
悪意からではない。
あの優しいおばあさんなら、きっと天国に行けるという意味だ。
そんな中、久しぶりに、おばあさんに出会った。
母が亡くなって、数カ月後のことだ。
「こんにちは」
声をかけたが、返事はない。
きっと、アタシが誰だか、解らないのだろう。
当然、数カ月前に、母を亡くしたことも、理解していないに違いない。
おばあさんは、長い間、アタシの顔を無言でジッーと見つめていた。
それから両手で優しく天を仰ぐような仕草をして、アタシに一言、こう告げたのである。
「アナタのお母さん、一番良いトコロに行ったねぇ。良かったねぇー」
ステキな笑顔だった。
これは、意味を持たない戯言(たわごと)なのだろうか?
それとも、「天国に一番近い」おばあさんには、皆には視えない何かが、視えているのかな?
父の胸懐(きょうかい)
父に、おばあさんの事を話してみた。
「母が天界で一番良いトコロにいる」と云っていたことを。
目に見えない世界のことなんて、まるで信じていない父だから。
そんな話をした処で、「だから何?」と冷ややかに云われると思ったが。
意外にも、父は、ぽつり、言った。
「そうかもしれないな」
それから、少し遠くを見てから、恥ずかしそうに続けた。
「お母さんは、絶対、人のことを悪く言わない人だったからな」
母は、天界の一番良いトコロで、きっと楽しくやっているに違いない。
「照れ屋の父」と。
「天国に一番近いババア」が云うのだから。
こりゃぁ、もう、絶対だ。
つづく
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