丑三つ時に会いましょう②
それから毎晩。
午前2時(丑三つ時)になると、死んだ筈の母が現れた。
夢か現実かは、わからない。
とろとろした浅い眠りに落ちていると、母が足元からやってきて、無言で横を通り過ぎるのだ。
1日目は、ただ「気配」だけだった。
次の夜は、うっすらとした白煙のようなモノが揺れていた。
3日目になるとそれは白い塊になり、4日目には白というより薄い光を放ち始めた。
5日目、6日目と光は更に強くなり、線香花火のように、光がバチバチと四方八方に激しく飛び出していた。
1週間が過ぎると、光が固体化し始め、やがて「ずんぐりむっくり」とした人の容(かたち)を形成し始めた。
十日祭(仏教でいう初七日)を過ぎる頃には、不完全ではあるが人型となり、穏やかな顔の表情も見て取れるようになった。
生存していた頃の母に近い。
とは云え、決して「人」ではないと「理解させられて」しまう。
人の形をし、白い服を身に着けているが、身体全体から「光」のようなモノを放っているのだ。
いや、「光」という言葉では足りない。
更に透明感を加えた、とにかく見た事もないような美しい「なにか」を放っているのである。
強いて言葉に変換するなら、愛情や慈しみ、感謝や真心などの、温かいエネルギー。
温かくて、懐かしくて、幸せな記憶のエナジーを放つ「もう人ではない」母……。
そうやって、毎日、毎晩、2週間もの間。
丑三つ時になると、「愛を持って」母が会いに来てくれた。
そして、毎日、少しづつ自身の形容を変えていく様は。
まるで「死人(しびと)」から「神」となってゆく工程を、見せてくれているかのようだった。
母は神となり、近くで見守ってくれている。
そう思えると、少しづつだが元気が出てきた。
まずは、食事をきちんと摂るようにした。
なるべく旬の食材を選び、湯船につかり、早めに寝た。
まだ、笑う事は出来ないが、職場にも復帰した。
14日目の午前2時(丑三つ時)、いつもように母が現れた。
そして、初めて、優しい声を聞かせてくれた。
「もう、大丈夫ね」
その日から、母は、ぱたりと現れなくなった。
つづく
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