下僕のお仕事。
映画の世界は、プロの集団で成り立っている。
監督、カメラマン、編集、スクリプター、俳優など、全ての職種に於いて、唯一無二のプロフェッショナル達で構成されている。
アタシはと云うと。
今まではオフィスに勤め、事務系の仕事をしてきたプロ?のOLだ。
つまり、映画の制作現場では、全くの無能者、役立たず、最下層の下僕扱いである。
この事務所に採用されたのも、「事務」という名目の「雑用係」だ。
基本的には、事務所で電話番、お茶入れ、使いっ走りの毎日だ。
お茶入れ名人。
さて。
今日も下僕の熱き戦いの火蓋が切られた。
監督は、基本、平日は毎日事務所へ出社する。
アタシの仕事は、まず、監督へのお茶入れから始まる。
先日、コバエとの激闘に勝利し、ぺっかぺかに磨いてやった給湯室で、今日も静かなる闘志を燃やすのであった。
「まずい」
今日も、クソ監督が呟く。
事務所にあるのは、賞味期限ギリギリの格安茶葉だ。
巨匠なら、高級茶葉を買ってくれ。
「そういう考えは良くない」
プイッとそっぽを向いてしまう監督。
まずいお茶のくせに、全部、飲み干しているじゃねーか。
そう云えば、昔、おじさん神様が云ってたな。
「失敗した時は、人のせいにするな。まずは、自分を疑え」 と。
うむ。
まずいのは、安い茶葉のせいではないらしい。
ならば、この茶葉で、うんまい茶を煎れる方法を考えよう。
まずは、敵(お茶)のことを知らねば。
監督を見習い、「茶」に関する本を片っ端から本屋で立ち読み。(本屋さん、ごめんなさい!)
それから、近所の商店街にあるお茶屋さんで一番安い茶葉を1つ買い、優しいおばちゃんに正しいお茶の入れ方を伝授して貰った。
さぁ、実践だ。
教えの中には『良い水を使え』とあったが、このヘボ事務所には、浄水器やミネラルウォーターなんて存在しない。
なので、 お湯は必ず完全に沸騰させた。
沸騰したら蓋をとって、更に5分以上、弱火で沸かし続ける。
そうすることにより、カルキ臭などの臭気がとれるのだ。
そして、お湯をゆっくり急須に注ぎ、その後1分ほど、お茶の葉が開くまで静かに待つ。
その時、急須は、絶対揺すらない。
お茶の中の苦み成分が出てしまうからだ。
注ぐ時には急須に残らないように、必ず最後の一滴まで注ぎ切り、急須の蓋を取っておく。
こうすれば、お茶の葉が蒸れ過ぎる事が無く、二煎目もおいしく飲むことが出来るのだ。
「昼から出社」のガガさんにも、美味しいお茶を淹れてあげることが出来る。
ふーん。お茶の淹れ方で、味がこんなに変わるんだ。
ならば、出し方も一工夫。
朝一番や二日酔いの方には、蒸らし時間を少し長めにとり、お茶の渋みを楽しめるように。
お昼ご飯と一緒に飲むお茶は、ほんの少しだけぬる目にして飲みやすく。
状況に応じ、出し方も工夫してみた。
OL時代にもお茶出しはしてきたが、「会議の風習」くらいにしか思っていなかった。
誰かの為を思って淹れるお茶は、思いのほか、奥深い。
そんなある日、遂にその日を迎えた。
待ちに待ったこの一言を頂戴したのだ。
「うまい!」
監督は、顔色ひとつ変えないで言い放つ。
こっちは、ちょっこり泣きそうなのに。
何の取り柄もない「下僕」から、「お茶入れ名人」に昇格した瞬間だ。
つづく
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