プロローグ
これから綴る「私の神様(シリーズ)」は、アタシが実際に体験した「スピリチュアル(目に見えない世界)」を軸に、凡庸OLまこさん(アタシ)と八百万の神様が、何でもない日常を共に生きていくお話である。
不思議な世界なんて信じない人も。
「スピリチュアル」というよりも、「エンターテインメント」の一つとして、気楽に読んで欲しい。
嘘と決めつけず、ゆるりと「感じて」欲しいのである。
そして、「自分とは違う世界が視えている人が、近くに存在するのかもしれない」と、想像の翼を広げていただければ、これ幸いである。
【追記】
タイトルの「柱」は神様を数える時の単位。
神様は柱(はしら)と数える。
女神さまの憂鬱
思えば、生きづらい少女時代だった。
「勘が鋭い」と言われると悪い気はしないが、「気味が悪い」と言われると泣けてくる。
陰で付けられたあだ名は「女神さま」。
もちろん、嘲笑(ちょうしょう)付きの、悪意を含んだ呼び方だ。
気づいたり、思った事を、すぐ口にする事は、憚(はばか)れた。
小学校にジャイアンのような男子がいた。
女子にまで暴力を振るう不届き者だ。
ある日、掃除をさぼり遊んでいるジャイアンを注意したら、顔にツバをかけられた。
「そんな事ばかりしてると、事故に合うよ!」
思わず出た言葉だった。
ジャイアンは二日後に、事故にあった。
幼少の頃、近所の小川で遊ぶ時は、いつも4人だった。
K君、Tちゃん、私、そして、名前の知らない優しいお兄ちゃん。
「あの人だーれ?」
K君とTちゃんは、知らないと答えた。
ここには3人しか居ないと。
小学生の頃、家族でハイキングに出かけた時のことだ。
山から下りる途中、10mほど奥まった場所に小さな祠(ほこら)があった。
お世辞にも綺麗とは言えない寂しい祠だ。
朽ちかけた案内板に「出世神社」と書いてある。
この地の砂を持ち帰り、玄関の前にまけ、と。
家族は、皆、興味がないようだが、アタシが一人、祠に向かって走った。
手にはお小遣いの10円を握りしめて。
二歳上の姉から「あんた、小学生なのに、出世したいの~?」とからかわれた。
違う。
出世したいわけじゃない。
寂しそうだからだ。
祠の前に到着すると、「よく来たなー」と野太い声が聞こえた。
誰もいない。
ちょっこり怖くなり、10円をそっと置き、チョンと手を合わせ、一目散に家族の元へ走った。
「ふわっはっはーーー!」
腹の底から楽しそうに笑う声が、背の向こうに聞こえた。
その声は大きな風となり、アタシを後ろから吹き飛ばした。
ほんの少しだけ、浮いた気がした。
ひゃぁぁぁーーーーーー。
翌日、父が出世した。
係長になった。
(微妙。www)
子供の頃は、「皆、ホントに見えてないの?」とか「え、どうして気づかないの?」と不思議に思う事が多かった。
が、すぐに、自分の方がおかしいと「気づかされた」。
子供たちは、無垢(むく)で、残酷だから。
何かに”気づく”たび、母からは、「そういう事は、あまり言わない方がいいよ」と優しく諭(さと)された。
母の教えを守り、口を噤(つぐ)むようになる。
だって、誰かを怖がらせるつもりなど、微塵もない。
そして、馬鹿にされるのは、もっとイヤだった。
小さな心はヤサぐれた。
どうして、自分だけ「本当の事」を話してはいけないのだろう?
そんなある日、ヤサぐれ少女は、「おじさん神様」と出逢う事となる。
いや、選ばれたのだ。
つづく
コメント
改めて久しぶりにブログ拝見。
本日よりリピートスタート。
お~!想像以上にスピリチュアル!
読み応えを感じてま~す。これから毎日のデスクランチの楽しみが増えました!
きょんさん
読んでいただいて、ありがとうございます。
これからもデスクランチの「おとも」として、宜しくお願いいたしますね。
まこ